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『ジョーカー』と『パラサイト』、どっちが重い? 

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

トリコです。

 

2019年年末から2020年年始にかけて、ある2本の映画が日本で公開され、話題的にも興行的にも大成功を収めました。

ジョーカー』と『パラサイト 半地下の家族』です。

 

 

この2本、実は歴史的にとても意義のある快挙を成し遂げた作品だったんです。

 

『ジョーカー』は、映画賞にはあまり好まれないと言われるアメコミ映画作品ながらヴェネチア国際映画賞の最高賞である金獅子賞を受賞し、これはアメコミ映画史上初の快挙でした。アカデミー賞では最多11部門でノミネートされ、作曲賞、主演男優賞の2部門で受賞を果たしました。

『パラサイト』は、韓国資本のみで製作された純粋な韓国映画であるのにも関わらず、カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを受賞し、アカデミー賞では全6部門でノミネートされ、作品賞、脚本賞、国際長編映画賞、監督賞の最多4部門で受賞を果たしました。アジア映画がアカデミー作品賞を受賞するのは史上初の快挙でした。

 

このように数多くの快挙を成し遂げた両作品なのですが、観る人によって、

「『ジョーカー』の方が重かった。」や、

「『パラサイト』の方が重かった。」など感想が両極端に綺麗に分かれているような印象を受けます。

同じ「経済格差」をテーマとしていることもあり、よく比較されることの多い両作品ですが、どうしてこのような差が生じたのか、その理由を考察していこうと思います。

 

 

舞台

ジョーカー

舞台は架空の都市、ゴッサムシティ。

主人公のアーサーは、この貧富の格差が拡大し続ける架空の都市で、病気の母親を介護しつつ、貧しく悲惨な生活を送る精神病患者です。

パラサイト

舞台は韓国。

主人公家族、キム一家は、「半地下」と呼ばれるところに住んでいる貧しい一家。

韓国では「半地下」で暮らしている人は未だに39万人存在すると言われています。

比較

『ジョーカー』のアーサーには頼れるような友人や家族もおらず、終始孤独。

対して『パラサイト』のキム一家はなんだかんだ楽しく、仲睦まじく暮らしています。

この違いが、次で述べる物語の構成の差異に大きく関わってきます。

 

ストーリー構成

ジョーカー

アーサーは物語序盤からどん底の生活を送っていますが、病気の母親を介護したり、バスで乗り合わせた少年を笑わせようとしたりと、コメディアンを夢見る心優しい男性でした。

ですが、社会保障を打ち切られ、仕事も首になり、社会にも行政にも見放されてしまい自暴自棄になっているところで、リンチしてきた男たちを勢い余って殺害してしまいます。ここで彼の内に秘められていた悪意が覚醒してしまうことになります。

少しずつ信徒を増やし、成り上がっていったアーサーは、遂に有名テレビ番組にピエロのメイクで出演し、生放送中にその司会者を射殺してしまいます。こうして彼はゴッサムシティの貧困層を暴徒化させ、彼らに英雄のように讃えられながら新たなカリスマとして生まれ変わるのでした。

参考 : 映画『ジョーカー』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

パラサイト

キム一家は金持ち家族、パク一家に寄生する計画を企て、家庭教師や家政婦、運転手として彼らに雇われます。その計画が順風満帆に進み、一家ウハウハ状態なのが物語の前半。

彼らのせいで追い出された元家政婦が帰ってきてから彼らの最高な生活に暗雲が立ちこめ始めます。実はその豪邸の地下には元家政婦の夫が隠れて暮らしていたのですが、その夫婦に自分たちが「半地下の家族」であることがバレてしまいます。そのことがパク一家にもバレることを恐れたキム一家はこの2人を地下に閉じ込めます。

後日、パク一家の息子の誕生日パーティーが豪邸で行われ、キム一家も招待されるのですが、運良く地下から脱出できた元家政婦の夫が、本来同じ貧しい身分でありながら良い暮らしをしていることへの妬みから、キム一家の娘を殺害します。それを見たキム一家の母親がなんとか元家政婦の夫を殺害するのですが、その元家政婦の夫の臭いを嗅いで後ずさりしたパク一家の父親を、普段から彼に臭いのことを気にされていたキム一家の父親が衝動的に殺害してしまいます。

そしてキム一家の父親は隠れるために自ら豪邸の薄汚い地下室に立てこもり、その息子はいつかその豪邸を買い取って父親を救出することを決意するのでした。

参考 : 映画『パラサイト 半地下の家族』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

比較

この2作品には、2つの大きな違いがあります。

1つ目は、まず『ジョーカー』は性善説、『パラサイト』は性悪説に則ってストーリーが描かれているということ。

キャラクター設定として『ジョーカー』はアーサーがもともと善人として描かれていて、だんだん悪の道に逸れていってしまう様子を描いています。つまり、アーサーが壊れていってしまう様に観客は同情し、また、状況によっては自分も「ジョーカー」に成り得るかもしれないことに気付かされてしまうのです。

対して『パラサイト』のキム一家は、初めから犯罪にノリノリであったり、元家政婦夫婦を簡単に地下に監禁したりと、倫理観が欠如している一家として描かれています。したがって、観客は無意識の内に彼らを「自分とは違う人種」だと捉え、彼らがどのような報いを受けようと「自業自得だしな」と思ってしまえるのです。

 

2つ目は、ストーリー展開が真逆だということです。

『ジョーカー』のアーサーの序盤のどん底の状態から、少しずつ信者を増やしていき、最終的にカリスマとして崇められ、映画が終了します。

それに対して、『パラサイト』は序盤は半分コメディのような感じで明るく楽しめますが、後半は急転直下で現実を突きつけられ、そのまま救われないまま物語が終了してしまいます。

つまり、『ジョーカー』は観客に最後の最後にカタルシスを感じさせ、そのまま映画が終了するのに対し、『パラサイト』は物語の前半は楽しく盛り上げますが、その後はひたすら現実を突きつけたまま終了する後味の悪い作品になっているのです。

 

こうして考えてみると、1つ目の要素(性善説・性悪説)を重視する観客は『ジョーカー』の方が重かったと感じ、2つ目の要素(後味の良さ・悪さ)を重視する観客は『パラサイト』の方が重かったと感じることになるので、評価が大きく二分したことにも合点がいくような気がします。

 

まとめ 

色々グダグダと書きましたが、結局は観客によって重視するポイントが違い、それによってジョーカー派とパラサイト派に分かれたのだろう、という結論に至りました。

まあ人によって映画に求める者も違って当たり前だし感想も異なって当たり前だとは思うのですが、そんな当たり前のことに気づけた良い機会でした。

 

個人的には好きなのは『パラサイト』、重かったと感じたのは『ジョーカー』です。

 

意見、感想など色々コメントもお待ちしております。

 

ばい。